「自分は悪いことをしていないから大丈夫」。そう考えて日常を過ごしている人は少なくないでしょう。しかし、古代ローマ皇帝であり哲学者でもあったマルクス・アウレリウスは、『自省録』の中でこう語りました。
「何かをなすことが不正義であるのはもちろん、何かをなさないことが不正義であることも少なくない」
これはつまり「沈黙そのものが罪になることがある」という指摘です。悪事を直接働かなくても、見て見ぬふりをした瞬間、その悪を支える一員になってしまうのです。
沈黙が生んだ歴史の悲劇
人類の歴史を振り返ると、沈黙によって悪がはびこった事例は数えきれません。奴隷制、ホロコースト、人種差別…。加えて、1964年の「キティ・ジェノヴィーズ殺害事件」では、多数の住民が事件を目撃しながら通報せず、被害者は命を落としました。これは「傍観者効果」として心理学の教科書に取り上げられています。
こうした出来事から分かるのは、悪を行った人間だけでなく、沈黙した大多数の人々もまた責任の一端を担っているという事実です。ことわざにもあります――「善良な人々が沈黙するとき、悪がはびこる」と。
善を広めるためにできること
悪に加担しないことは大前提ですが、それだけでは不十分です。むしろ、積極的に「善を広める力」とならなければなりません。とはいえ、世界を一気に変えるような大きな行動である必要はありません。日常の中で私たちにできることはたくさんあります。
- 小さな不正を見逃さない
職場や学校でのいじめ、不公平な扱い、差別的な発言。これらをスルーせず、勇気をもって「それはおかしい」と声を上げることが第一歩です。 - 支援の意思を示す
苦しんでいる人に手を差し伸べる。寄付やボランティアなども立派な行動です。「誰かが見ているだろう」ではなく「自分ができることをする」姿勢が大切です。 - 日常で善を実践する
挨拶をする、感謝を伝える、困っている人を助ける――小さな善行の積み重ねは、社会全体の空気を変える力になります。
行動する勇気を持つ
不正義に直面したとき、沈黙するのは簡単です。波風を立てたくない、自分が矢面に立ちたくない、そんな気持ちが働くからです。しかし、ストア派の哲学は「理性に従い、自分にできることを行う」姿勢を求めます。たとえ小さな行動でも、それは確実に社会に影響を与えます。
私たちが本当に恐れるべきは、悪を行う少数の人間ではなく、善良でありながら沈黙する多数の人々かもしれません。
まとめ
マルクス・アウレリウスの言葉は、2000年前から現代に響く普遍的な警告です。悪をしないだけでは不十分であり、むしろ積極的に善を行うことが私たちの責任です。日常の小さな行動を通じて、善を広める推進力となりましょう。それが沈黙に代わる、最も力強い答えなのです。