「はっきり悪事を指摘する」——沈黙せず、真実を語る勇気
「はっきり悪事を指摘する」——沈黙は、時に罪となる
聖書のエペソ人への手紙5章11節には、次のような言葉があります。
「実を結ばない闇の業に加わらず、むしろそれを明るみに出しなさい。」
この一節は、私たちが社会や人間関係の中で直面する「正義」と「沈黙」の問題を見事に突いています。
悪を知りながら目をそらすこと——それは、悪に手を貸すのと同じことだと、聖書は警告しているのです。
「見て見ぬふり」は、最も静かな共犯
誰かが不正をしているのを知りながら、あえて何も言わない。
組織の中で明らかに間違った行動を見ても、波風を立てたくないから黙ってしまう。
こうした沈黙は、一見「平和的」に見えます。
しかし実際には、**悪を放置し、広げてしまう“静かな共犯”**でもあります。
聖書は「悪の業に加わるな」と言いますが、
“加わる”とは行動だけではなく、沈黙という態度も含まれているのです。
指摘することは、攻撃ではなく「愛の行為」
多くの人が「人の悪事を指摘するのは偉そう」「トラブルのもとになる」と考えがちです。
確かに、相手を責めるような言い方をすれば、関係を壊してしまうこともあります。
しかし、聖書が求めているのは「裁くこと」ではなく、
**「愛をもって正すこと」**です。
相手の過ちを放置するのは、優しさではありません。
それは、相手がさらに悪い結果を招くのを見過ごしているということ。
本当の愛とは、相手のために言いにくいことを、正しく伝える勇気を持つことなのです。
「悪事を指摘する」とは、正義感ではなく責任感
エペソ人への手紙5章11節は、単に「悪を批判しなさい」と言っているのではありません。
むしろ、「正しいことを明るみに出して、世界をより良くしなさい」という責任の呼びかけです。
悪事を指摘するということは、
- それを正す機会を与えること
- 周囲の人々を守ること
- そして、社会全体の健全さを守ること
つまり、それは勇気と責任を持った行動なのです。
「沈黙しない勇気」を持つための3つのステップ
悪を見過ごさないことは理想としても、実際に行動に移すのは難しいものです。
そこで、今日から実践できる3つのステップを紹介します。
① 「事実」と「感情」を分けて伝える
相手に注意をする際は、感情的にならず、冷静に事実を伝えること。
「あなたは間違っている!」ではなく、
「この行動にはこういう問題があるように思う」と、行動に焦点を当てて伝えることで、相手も受け入れやすくなります。
② 「目的」を明確にする
指摘する目的は、相手を攻撃することではなく、正しい方向へ導くことです。
「あなたがもっと良くなるように伝えたい」という姿勢があれば、言葉に誠実さが宿ります。
③ 自分自身の言動を省みる
他人を指摘する前に、自分も同じ過ちを犯していないかを振り返ること。
謙虚な心で向き合うことで、あなたの言葉には説得力と重みが生まれます。
光の中で生きるということ
エペソ書5章は、「光の子として歩みなさい」と続きます。
それは、私たちが「闇に属する生き方」をやめ、
誠実・正義・真実という光の価値に基づいて行動するよう呼びかけているのです。
つまり、悪を指摘することは、他人を責めることではなく、
闇を光に変える行為でもあります。
あなたの一言が、誰かを立ち直らせ、
組織や社会を正しい方向へ導くことがあるのです。
終わりに:沈黙よりも、真実を語る勇気を
エペソ人への手紙5章11節は、現代の私たちにこう問いかけています。
「あなたは、悪を見て沈黙していませんか?」
時には黙ることが美徳ですが、
黙ってはいけないときに沈黙することは、正義の放棄です。
真実を語ることは勇気が要ります。
しかし、それが誰かを守り、未来を変えるきっかけになります。
まとめ
- 「悪を指摘すること」は批判ではなく、愛と責任の行為
- 沈黙は、時に悪に加担することになる
- 真実を語る勇気が、光ある社会をつくる
あなたの一言が、誰かの人生を変えるかもしれません。
恐れず、誠実に、愛をもって真実を語りましょう。
