「堅実に事業を行う事業家はまだ中級だ」——幸田露伴が語る、“安定の先”にある本当の成功
「堅実に事業を行う事業家はまだ中級だ」とは
幸田露伴は『努力論』の中で、事業家のあり方を「時間」や「志」の観点から三段階に分類しています。
前章(第203章)では、「一時的な利益を追う事業家は下級」と断じました。
そしてこの章では、「堅実に継続的な利益を得ようとする事業家」は中級と位置づけています。
露伴はこう述べています。
「恒常的・継続的に利益を得ようと努力する者は中級の事業家だといえる。
世の中には、こうした中級の事業家が最も多い。」
つまり、真面目で誠実に事業を続ける人は立派ではあるが、
それでも“中級”にすぎない、というのです。
「中級の事業家」とはどんな人か
露伴が描く「中級の事業家」とは、
- 投機的な考えを持たず、地道に働く
- 事業の浮き沈みに一喜一憂せず、着実に利益を積み上げる
- 社会の安定に貢献する堅実な人
つまり、現代で言うところの“誠実な中小企業経営者”や“堅実な経営リーダー”にあたります。
露伴はこうも言います。
「自分の事業と心中するほどの勇猛心はないが、少なくとも事業を行っているあいだは浮わついた心もなく、
ひたすら真面目に堅実に利益を得ようと努力している。」
露伴はこうした事業家たちを尊敬しつつも、
そこには“さらなる次元”があることを示唆しています。
「堅実さ」は美徳だが、限界もある
露伴は、堅実な事業家を否定しているわけではありません。
むしろ、「彼らの存在が社会の安定を支えている」と評価しています。
「こうした中級事業家が社会に増えることは、社会の安定性を増し、
経済合理性のある社会をつくる上で喜ばしいことだ。」
しかし同時に、露伴はこうも述べています。
「もっとも、こうした事業家たちの仕事がすぐに国家・国民のために大きな役に立つことはない。」
つまり、堅実で真面目な経営は社会にとって有益ではあるものの、
大きな変革や新たな価値の創造には至らないというのです。
この指摘はまさに、
「安定を選ぶか、挑戦を選ぶか」という普遍的な問いを投げかけています。
上級の事業家に必要なもの
露伴が言う“上級の事業家”とは、
単に利益を出すだけでなく、時間と社会を超えて価値を残す人のことです。
彼らは堅実な努力を土台にしつつも、
- 新しい時代の道を切り開く構想力
- 困難を恐れない勇気と覚悟
- 個人の利益を超えた公益への志
を持っています。
露伴の思想を現代に置き換えるなら、
イノベーションを起こす起業家や、社会的使命を持った経営者がこれにあたるでしょう。
つまり、「中級の堅実さ」を超えて「上級の志」に至るには、
“勇猛心”と“公益心”の両立が必要なのです。
「中級」で満足していないか?
露伴の言葉を読むと、私たちは自然にこう問われます。
「あなたの努力は堅実である。しかし、それは本当に理想のための努力か?」
堅実に働き、安定を得ることは素晴らしい。
けれども、もしそこに「挑戦」「創造」「奉仕」の心がなければ、
その努力は“中級”のまま終わってしまうかもしれません。
露伴が伝えたかったのは、
安定は終点ではなく、出発点であるということ。
堅実な経営の上に、理想と勇気を積み重ねたとき、
人も事業も「上級」へと成長するのです。
露伴が見た「理想の事業家」像
露伴が描く理想の事業家(上級の事業家)は、
次のような人物です。
- 自分の利益よりも「社会の利益」を優先する
- 短期的成功より「永遠高大な利益(長期的繁栄)」を志す
- リスクを恐れず、正義と理想に基づいて挑戦する
彼らにとって事業とは、金銭を得るための手段ではなく、人生をかけた使命です。
だからこそ、彼らの働きは“国家や社会の礎”となるのです。
まとめ:安定の先に志を持て
幸田露伴の「堅実に事業を行う事業家はまだ中級だ」という言葉は、
現代のビジネス社会においても鋭く響く警鐘です。
- 一時的な利益を追う者は下級
- 継続的な利益を求める者は中級
- 社会全体の幸福を目指す者が上級
堅実であることは確かに尊い。
しかし、そこに志を加えたとき、はじめて人は“上級”に至るのです。
露伴の教えは、単なる経営論ではなく、
人生における「努力の方向」を問う哲学でもあります。
今日の堅実さを誇りにしつつ、
明日の理想を描く勇気を持つこと——
それが、幸田露伴のいう“上級の生き方”なのです。
