「我を張らない」──菜根譚に学ぶ、素直さが人を成長させる理由
「我を張る」と人は成長を止める
『菜根譚』の中に、こんな一節があります。
利益や欲望を追求するのは、必ずしも悪いことではない。
それよりも悪いのは、我を張って他人の意見に耳を貸さないことである。
男女の愛欲も、必ずしも修養の妨げにはならない。
それよりも障害になるのは、詳しく知りもしないのに、知ったかぶりをすることである。
この一節は、**「人を本当に鈍らせるのは“欲”よりも“我”である」**という鋭い指摘です。
私たちはよく「欲を持つこと」を悪いことのように思いがちですが、
菜根譚はそうではないと説いています。
欲望そのものは、人を動かし、成長の原動力にもなり得る。
しかし、“我(頑固さ・自己中心的な思い込み)”は、人の心を閉ざし、成長の可能性を奪ってしまうのです。
欲は人を動かす。我は人を止める。
「利益を追う」「愛を求める」ことは、人として自然なこと。
菜根譚はそれを否定していません。
しかし、そこに「我」が混じると、すべてが歪んでしまうのです。
たとえば──
- 自分のやり方が一番正しいと思い、他人の意見を聞かない。
- 知ったかぶりをして、実際には理解していないのに語ろうとする。
- 間違いを指摘されると、素直に受け入れられない。
これらはすべて、「我を張る心」から生まれます。
そして怖いのは、**“我を張る人ほど、自分がそうなっていることに気づかない”**ということです。
この無自覚さこそが、菜根譚の言う「修養の妨げ」なのです。
「我を張らない人」は、柔らかくて強い
一見すると、我を張らない人は“流されやすい”ように見えるかもしれません。
しかし実際には、最も強い人ほど、柔軟であるのです。
風に逆らう硬い枝は折れてしまいますが、
しなやかに揺れる竹は、どんな風にも耐えます。
人の心も同じです。
素直に意見を受け止める人は、他人の知恵を自分の力に変えられます。
逆に、我を張る人は「自分の世界」に閉じこもり、成長の機会を逃してしまいます。
菜根譚のこの一節は、
**「強さとは、他人を拒まない心の余裕」**であることを教えてくれています。
「知ったかぶり」は学びを止める
もうひとつ、この言葉の中で印象的なのは、
「詳しく知りもしないのに、知ったかぶりをすることこそ修養の障害だ」
という部分です。
現代にも非常に通じる指摘です。
SNSやネットの情報があふれる今、“浅い知識”を得て満足してしまう人が増えています。
本当に理解していないのに、「自分は知っている」と思い込む。
しかし、学びの本質は「知らない」と認めることから始まります。
「知らない」と言える人は、常に新しい学びを吸収できます。
一方、「知ったかぶり」は、成長を止める最も危険な心の癖です。
だからこそ、菜根譚は「欲」よりも「我」を戒めているのです。
「我を張らない」ための3つの実践
では、どうすれば我を張らず、素直な心を保てるのでしょうか?
菜根譚の精神を現代に生かす3つのヒントを紹介します。
① 「正しいかどうか」より「学べるかどうか」で考える
誰かの意見を聞くとき、「自分と違うから間違っている」と切り捨てていませんか?
その代わりに、「この人の話から何を学べるか?」と考える習慣を持ちましょう。
これだけで、会話も人間関係も驚くほど豊かになります。
② 「知らない」と言える勇気を持つ
わからないことを素直に「教えてください」と言える人は、強い人です。
知識は恥ではなく、謙虚さの証。
“知ったかぶり”を手放せば、学びのチャンスが何倍にも広がります。
③ 自分の意見を「一度手放す」練習をする
意見を持つことは大切ですが、それに固執しないことも同じくらい重要です。
「そういう考え方もあるね」といった柔らかい言葉を意識的に使うと、
自分の思考が広がり、人間関係も穏やかになります。
柔らかい心が、人生を豊かにする
我を張らない人は、常に学び続ける人です。
人の意見を取り入れ、失敗から学び、自分を更新し続ける。
その柔らかさが、やがて深い知恵と魅力を生み出します。
反対に、我を張る人は、世界を狭め、自分を孤立させてしまいます。
硬さより柔らかさ、強がりより素直さ──
それが菜根譚が説く「成熟した生き方」なのです。
まとめ
- 欲や愛情は悪ではないが、「我を張る心」は成長を止める
- 知ったかぶりは、学びの最大の障害
- 「知らない」と言える素直さが人を強くする
- 柔軟で素直な人こそ、真に賢く、豊かに生きられる
『菜根譚』のこの教えは、
**「強さ=硬さではなく、しなやかさである」**という真理を伝えています。
自分の意見を持ちながらも、他人の声に耳を傾ける。
その素直さこそが、人を成熟へと導く最大の力なのです。
