「自分を憐れむな」――新渡戸稲造『世渡りの道』に学ぶ、感謝を忘れない生き方
「自分をかわいそう」と思う心が、幸福を遠ざける
新渡戸稲造は『世渡りの道』の中で、次のように述べています。
たとえば、社会的にも経済的にも申し分のない状況に恵まれていても、自分に子どもがいないことを何よりも不幸だと感じ、自分ほどかわいそうな人間はいないと思う人がいる。
この一節は、現代にもそのまま当てはまります。
仕事、収入、健康、人間関係――どれか一つでも欠けていると、
「自分は不幸だ」と感じてしまうことがあります。
しかし、新渡戸は言います。
「こういう人は、ほかにどれだけ恵みを受けていても、それに感謝する気持ちが起こらず、すべてマイナスに考えてしまう。本当にもったいないことだ。」
つまり、「足りないもの」にばかり目を向けているうちは、
どれほど豊かでも幸福にはなれないのです。
「足りない一点」がすべてを曇らせる
人は、100の恵みがあっても「持っていない1つ」に心を奪われがちです。
たとえば――
- 収入も安定しているのに、人と比べて満足できない
- 健康なのに、老いの兆しに怯えてしまう
- 家族や友人がいるのに、孤独だと感じる
新渡戸が指摘する「自分を憐れむ人」は、
まさにこの**「欠けている一点」ばかりを見る人**です。
自分を憐れむ心は、現実を歪め、幸福を遠ざけます。
なぜならその視点は、あるものを見ず、ないものだけを探す目だからです。
自分を憐れむと「感謝の回路」が閉ざされる
新渡戸は「もったいない」と言いました。
それは、自己憐憫の中にいる人が、
本来感じられるはずの“幸福の実感”を自ら手放しているからです。
感謝とは、「今ある恵みに気づく力」。
それを失うと、人は無限に不足感に悩まされます。
どんなに恵まれた環境でも、
「まだ足りない」「自分だけが不幸だ」と感じる――。
それこそが、新渡戸の言う心の貧しさなのです。
「自分を憐れまない」人の3つの特徴
では、自分を憐れまない人とは、どんな生き方をしているのでしょうか。
新渡戸の思想を踏まえると、次の3つの特徴が見えてきます。
① 足りないものより「あるもの」に目を向ける
失ったものより、まだ持っているものを見る。
それは現実逃避ではなく、幸福を感じる訓練です。
② 自分の境遇を「使命」として受け止める
どんな状況にも意味があると考える。
「なぜ自分が?」ではなく、「この経験をどう生かすか」に視点を変える。
③ 他者との比較をやめる
他人の幸不幸は、自分の価値を決める尺度ではない。
人それぞれの「恵みの形」があることを認める。
自分を憐れむ心が生まれたときの対処法
誰でも、ときには「なぜ自分だけ…」と感じることがあります。
そんなときこそ、新渡戸の言葉を思い出したいものです。
1. まず「自分は今、憐れんでいる」と認める
否定せず、感情を見つめる。
気づくことが、感情を手放す第一歩です。
2. 紙に「感謝できること」を3つ書く
小さなことでも構いません。
「今日、食事ができた」「友人からメッセージをもらった」――
それを意識するだけで、心の焦点が変わります。
3. 誰かに優しくする
他者に何かを与えることで、
「自分はまだ誰かの役に立てる」という自己肯定感が蘇ります。
感謝と奉仕の心が、自己憐憫を癒す最良の薬です。
「もったいない」と思える心が、幸福を呼ぶ
新渡戸の言う「もったいない」とは、
単なる倹約や節約のことではありません。
それは、心の豊かさを無駄にするなという意味です。
恵まれた環境にありながら、
「自分は不幸だ」と思い込むことほどもったいないことはない。
それは、せっかくの人生の光を自ら遮ってしまう行為なのです。
感謝は、幸福を呼ぶ“技術”である
感謝の心は、生まれつきの性格ではなく、鍛えられる能力です。
新渡戸の「修養」や「世渡りの道」は、まさにそのための訓練の書でもあります。
- 朝起きたら「今日も生きている」と思う
- 食事のとき「いただきます」と手を合わせる
- 誰かに助けられたら「ありがとう」を忘れない
これらの行為は、小さな修養の積み重ね。
それが、自分を憐れまずに生きる力を育ててくれるのです。
まとめ:「足りない」ではなく「与えられている」に気づく
新渡戸稲造の「自分を憐れむな」という教えは、
現代人が見失いがちな幸福の原点を思い出させてくれます。
- 不足に目を向けると、不幸が増える
- 恵みに目を向けると、幸福が増える
- 感謝の心を持つことで、自己憐憫は消えていく
「かわいそうな自分」から抜け出す唯一の方法は、
「ありがたい自分」に気づくことです。
新渡戸稲造が残した「もったいない」という言葉の奥には、
「幸せを見落とすな」という静かな願いが込められています。
