苦難があってこそ本物の人生──新渡戸稲造『人生読本』に学ぶ、試練を力に変える生き方
苦難こそが人を強くする
新渡戸稲造は、『人生読本』の中でこう述べています。
「竹はいかに早く成長したとしても、節のない竹には力がない。」
この比喩は実に象徴的です。
竹はまっすぐ高く伸びる植物ですが、節がなければ折れやすく、しなやかな強さを持つことはできません。
人間も同じ。
いくら順調に成長しても、困難という「節」を経験しなければ、真に強くはなれないのです。
平坦な道では勢いは生まれない
「川の流れもこれと同じであり、ただ平坦なところを静かに流れていては、勢いがつかない。石や岩などの障害物に出会ってこそ、はじめてその流れにも勢いがつく。」
新渡戸は、川の流れを人生に重ねています。
川は、障害物にぶつかることで水しぶきをあげ、力を増していきます。
もし障害物がなければ、水はただよどみ、流れを失ってしまうでしょう。
つまり、障害物(苦難)こそが、人生を動かす推進力になるのです。
平坦な道ばかりを望むのは、一見楽なようで、実は成長の機会を逃しているのかもしれません。
試練が「節」をつくる
竹の節、川の岩。
どちらも「抵抗」や「妨げ」に見えるものです。
しかし新渡戸は、それを避けるのではなく、むしろ「節をつくる機会」として捉えています。
人間もまた、試練を通して精神に“節”ができます。
- 失敗を経験して、謙虚さを学ぶ
- 挫折を経て、他人の苦しみに共感できるようになる
- 苦しい状況を耐えて、忍耐力と意志を鍛える
こうした“節”が、人間にしなやかさと深みを与えます。
節のない竹が強風で折れるように、困難を避けてばかりでは、人生は脆くなるのです。
苦難を「避けるもの」から「活かすもの」へ
新渡戸稲造は、苦難そのものを否定していません。
むしろ、「苦難は人生の一部であり、避けるものではない」と教えます。
「人生においても、試練や困難がなければ、その人間の意志を強くすることはできない。」
この一文には、「困難を通してこそ人は完成する」という信念が込められています。
私たちは苦しいとき、つい「なぜ自分だけが」と思いがちです。
しかし、新渡戸の目には、苦難は不幸ではなく、人格形成のチャンスとして映っていたのです。
苦しみを避けるより、苦しみから学べ
現代は「ストレスを避ける」「困難を減らす」ことが良いとされがちです。
もちろん、過度な負担は避けるべきですが、新渡戸が言うのは「苦難を否定しすぎる危険」です。
苦しみを排除しようとすれば、人はすぐに折れてしまいます。
逆に、苦難を受け入れて学ぶ姿勢を持つ人は、どんな環境でも立ち直る強さを持てます。
「苦難はあなたを壊すためではなく、磨くためにある。」
この考え方こそが、新渡戸の“修養の核心”なのです。
苦難を糧にする3つの実践法
新渡戸稲造の教えを、現代の私たちの生活に活かすために、次の3つの姿勢を意識してみましょう。
① 苦難を「試練」と名づける
苦しい出来事を「不幸」と呼ぶのではなく、「試練」と呼び変える。
それだけで心の姿勢が変わります。
② 「なぜ」ではなく「どう活かすか」を考える
苦難に出会ったとき、「なぜ自分が」と嘆くのではなく、「この経験をどう活かせるか」を問う。
③ 苦難を共有する
自分の経験を語り、人を励ます。
苦難を“共有の力”に変えることで、人生はより豊かになります。
まとめ:苦難がなければ、深みのない人生になる
『人生読本』のこの章が伝えるメッセージは、次の3つに集約されます。
- 苦難は人を鍛える「節」であり、人生を強くする。
- 平坦な道では勢いが生まれない。障害こそ成長の糧。
- 試練を恐れず、受け入れて乗り越える人こそ本物の人生を歩む。
新渡戸稲造は、苦難を「人生の装飾」ではなく「人生の本質」として捉えていました。
だからこそ彼は、「苦難があってこそ、本物の人生なのだ」と断言したのです。
最後に
新渡戸稲造の言葉を現代風に言えば、こうなります。
「節のない竹は折れる。
試練のない人生は、強くなれない。」
苦難を恐れず、それを受け入れ、糧として生きること。
それこそが、新渡戸稲造の説く“本物の人生”の歩き方なのです。
