成功者は運命を忘れ、失敗者は努力を忘れる|幸田露伴『努力論』に学ぶ「運と実力」の関係
成功と失敗を分けるものは「運」か「努力」か
私たちは、誰かが成功すると「運がよかっただけだ」と言い、
自分が失敗すると「運が悪かった」と嘆いてしまうことがあります。
しかし、幸田露伴は『努力論』の中で、このような考え方に明確な警鐘を鳴らしています。
彼は言います。
「成功者は運命を忘れ、失敗者は個人の力を忘れる。」
この一文には、人間が成功や失敗をどう受け止めるかという深い洞察が込められています。
露伴は、成功も失敗も「運」と「努力」の両方が関係していると説きながらも、
多くの人がどちらか一方に偏ってしまう危険を指摘しています。
左岸と右岸の農夫の寓話——幸田露伴のたとえ話
露伴はこの章で、次のようなたとえ話を紹介します。
川をはさんで、左岸と右岸に二つの村があった。
どちらの農夫も豆を植え、同じように努力していた。
しかし秋の洪水で、左岸の堤防は決壊し、右岸の堤防は守られた。
左岸の農夫は「運命が味方しなかった」と嘆き、
右岸の農夫は「自分の努力が実った」と喜びました。
露伴はこう結論づけます。
「左岸の農夫は人力を忘れ、右岸の農夫は運命を忘れた。
どちらも一方にかたよっている。」
つまり、成功にも失敗にも、“努力”と“運命”の両方が存在しているのです。
そのバランスを見失うと、どちらの立場でも偏った思考に陥ってしまうと露伴は言います。
成功したときに忘れがちな「運の存在」
成功したとき、人は「自分の努力でここまで来た」と思いたくなります。
確かに努力の成果は大きいでしょう。
しかし、その裏には「時代の流れ」や「人との出会い」など、自分ではコントロールできない幸運が存在します。
露伴が言う「成功者は運命を忘れる」とは、
この“見えない運の支え”を軽視してしまう傾向を指しています。
自分の努力だけを過信すれば、謙虚さを失い、次の挑戦で失敗することもある。
だからこそ、成功者は「運も味方してくれた」と感謝の気持ちを持つべきなのです。
失敗したときに忘れがちな「自分の力」
一方、失敗したときにはどうでしょうか。
人は「運が悪かった」「環境が悪い」と嘆き、自分の力を過小評価しがちです。
露伴は、これを「失敗者は個人の力を忘れる」と表現しました。
つまり、失敗をすべて運命のせいにして、自分の努力を軽んじてしまう姿勢です。
しかし、失敗の中にも必ず学びがあり、次につながる力が眠っています。
「自分の力でできることがまだある」と信じることが、
次の成功への第一歩になるのです。
幸田露伴の教え:「努力」と「運命」の両輪で生きる
露伴の思想の核心は、「運命と努力の調和」にあります。
努力だけでもだめ、運だけでもだめ。
人間の成長には、両方の要素を認める謙虚さと冷静さが必要だと彼は説きます。
たとえば、ビジネスやスポーツの世界で成功する人も、
「運がよかっただけ」とは言いません。
努力と準備を重ねたうえで、チャンス(運)をつかみにいくのです。
露伴はその姿勢こそ「運命を支配する人間のあり方」だと考えました。
成功を誇りすぎず、失敗を嘆きすぎず、両方を冷静に受け止める——
それが真の“努力家”の姿です。
成功と失敗を正しく受け止める3つの視点
露伴の教えを現代に活かすために、
「運」と「努力」を正しく捉える3つのポイントを紹介します。
- 成功したときは、運に感謝する
努力の成果に満足するだけでなく、「時期や人との縁が味方してくれた」と感じる謙虚さを持つ。 - 失敗したときは、自分の力を信じる
運が悪かったと嘆くより、「次にどう活かすか」を考える姿勢が大切。 - 努力と運命の“共存”を意識する
努力でできる部分と、運に委ねる部分を冷静に分けることが、心の安定と継続につながる。
まとめ:努力と運命の“二つの力”を忘れない
幸田露伴の「成功者は運命を忘れ、失敗者は個人の力を忘れる」という言葉は、
極端に走りがちな私たちの思考を戒めています。
成功したときは謙虚に、失敗したときは前向きに。
どちらの場面でも、自分の力と運命の両方を正しく見つめること。
それこそが、露伴の説く「人間らしい努力の在り方」です。
運命を信じすぎず、努力を過信しすぎず——
その“中庸”こそが、真の成功を生む心構えなのです。
