「成功の尺度は“時間と利益”にあり」──幸田露伴『努力論』に学ぶ、事業家の本当の優劣とは
「事業家の優劣」はどこで決まるのか
幸田露伴は『努力論』の中で、事業家の「優れている人」と「劣っている人」をどう区別するかという問いに、
明快でありながら奥深い答えを提示しています。
「事業家の優劣は何によって決まるのだろうか。その人格も関係するから、いちがいに論じることは難しいが、強いていえば、その一つは利益の観点から、もう一つは時間の観点から判断することができるだろう。」
つまり、露伴は「利益」と「時間」という2つの軸から、
事業家の力量を見極めることができると述べています。
しかしここで重要なのは、露伴が単なる“お金”や“スピード”を評価しているわけではないという点です。
彼の言う「利益」と「時間」には、道徳と努力の哲学が隠されています。
利益とは「正しい方法で得た成果」のこと
まず、露伴が語る「利益」とは、単なる金銭的な利益ではありません。
露伴は先の章(第201節)で、「事業の種類に優劣はない」と説いています。
つまり、どんな仕事であっても、不正でない限り尊いとした上で、
次に問うているのが「その仕事でどれだけの成果を出せるか」ということ。
ここでの「利益」とは、社会に正しく貢献し、その結果として得られる報酬を意味しています。
- 不正な手段で得た利益は「偽物の成功」
- 公正で誠実な努力によって生まれた利益は「真の成果」
露伴は、後者こそが事業家としての真の力を示すものだと考えました。
その意味で、**利益は「努力の結晶」であり、人格の反映」**でもあるのです。
時間の使い方が、人間の格を決める
露伴がもう一つの判断基準として挙げたのが「時間」です。
「その一つは利益の観点から、もう一つは時間の観点から判断することができるだろう。」
この言葉の背景には、露伴が全編を通じて繰り返し説いている「時間尊重の思想」があります(→第179節「時間を尊重せよ」参照)。
時間の使い方には、その人の思考力・計画力・忍耐力がすべて表れます。
短い時間で多くの成果を生み出せる人は、
それだけ「無駄を省き、工夫を重ねる努力」をしている人です。
逆に、時間を浪費する人は、思考が浅く、行動が漫然としている。
露伴にとって、「時間の観点から見た優劣」とは、
人生という限られた時間を、どれだけ有効に使い、成果につなげているかということなのです。
「利益 × 時間」=努力の効率と誠実さ
露伴の説を現代風に言い換えるならば、
事業家の優劣とは「利益 × 時間」で測られる、といってよいでしょう。
ただし、ここでの「効率」とは単なるスピード勝負ではなく、
誠実さを保ったうえで、最短の努力で最大の成果を出す知恵のことです。
たとえば、
- 短時間で顧客に価値を届けるシステムを作る
- 社員の時間を奪わずに成果を上げる仕組みを考える
- 無駄な会議や形式的な慣習を減らし、本質的な行動に集中する
こうした努力こそが、露伴の言う「時間の観点から優れている事業家」です。
露伴の時代にはまだ「効率」という言葉が一般的ではありませんでしたが、
彼の思想は、現代のタイムマネジメントや生産性向上の哲学に通じています。
上下高低を意識するのは「競争」ではなく「向上」
露伴は、優劣を論じながらも、決して「他人と比べること」を勧めてはいません。
「こうした上下高低を目標にして、一人でも多くの人ができるだけ上の高いところを目指してくれることなのだ。」
彼が言う“高いところ”とは、他人を打ち負かす場所ではなく、自分の理想に近づく場所です。
つまり、露伴が望むのは「競争による勝ち負け」ではなく、
「自己の成長と社会の発展を目指す向上心」。
利益も時間も、単なる成果の指標ではなく、
努力を磨くための“物差し”にすぎないのです。
「人格」を忘れた成功は、真の成功ではない
露伴は、この章の冒頭で「人格も関係するから、いちがいに論じることは難しい」と述べています。
つまり、利益や時間だけで判断できるわけではない。
なぜなら、人格という根がなければ、その成果は長続きしないからです。
利益を生み出す力も、時間を活かす知恵も、
すべては「誠実さ」「忍耐」「謙虚さ」といった人間的土台の上に成り立つもの。
露伴にとって、
- 利益=成果の表面
- 時間=努力の手段
- 人格=成功の根本
という構造になっているのです。
おわりに:露伴が願った「高みを目指す人」へ
幸田露伴の『努力論』は、成功や富を否定するものではありません。
むしろ、それらを**「努力の結果として正しく手にすること」**を勧めています。
「利益」と「時間」を意識しながらも、
人としての誠実さを失わない。
それが、露伴の考える「上に立つ事業家」の条件です。
そして彼は最後にこう願います。
「一人でも多くの人が、できるだけ上の高いところを目指してくれることなのだ。」
露伴のいう“高いところ”とは、地位や富ではなく、
人間としての成熟と、社会への貢献を意味します。
それこそが、時代を超えて通じる“真の成功哲学”なのです。
