「優れていたい」が強すぎると苦しくなる──アドラー心理学が教える“健全な自信”との付き合い方
「優れていたい」という気持ちは自然なもの
誰の中にも、「もっと良くなりたい」「人に認められたい」という気持ちはあります。
アドラー心理学では、これを人間の根源的な“向上の欲求”としています。
この欲求があるからこそ、人は努力し、学び、挑戦し続けられます。
つまり、「優れていたい」という感情は、本来とても自然で健全なものなのです。
しかし、この気持ちが強くなりすぎると、心のバランスを崩してしまうことがあります。
「優れていたい」が強すぎると起こること
アドラーは、人間が強い劣等感を抱えたとき、
それを補おうとして“過剰に優れていようとする”傾向が生まれると述べています。
本来は「成長したい」という前向きな気持ちが、
いつの間にか「負けたくない」「他人より上でなければならない」という過剰な優越願望に変わってしまうのです。
その結果、次のような心理状態に陥ることがあります。
- 常に他人と自分を比較して落ち着かない
- 少しのミスでも「自分はダメだ」と感じてしまう
- 他人を見下すことでしか安心できない
- 人に負けるのが怖くて挑戦できなくなる
これらはすべて、「優れていたい」欲求が病的なレベルに達したサインです。
優越願望の裏にあるのは“深い劣等感”
アドラー心理学では、「優越感」と「劣等感」は表裏一体の関係にあります。
強すぎる優越願望の根には、実は自分への深い不安や無力感が潜んでいるのです。
「優れていなければ価値がない」と思い込む人ほど、
本当は「劣っている自分を受け入れられない」という苦しみを抱えています。
そのため、“他人より上”という状態を一瞬でも失うと、
心が不安定になり、極端な言動に走ってしまうこともあります。
アドラーはこの状態を、**「病的な優越性の追求」**と呼びました。
健全な自信とは、「他者と比べない強さ」
アドラー心理学における“健全な自信”とは、
他人と比較しての優劣ではなく、自分自身の成長に目を向ける力です。
健全な自信を持つ人は、
- 自分の弱さを認めながら、それでも前に進もうとする
- 他人を敵ではなく仲間と見る
- 「誰かより上」ではなく「昨日の自分より前」を目指す
このように、優れているかどうかよりも、“自分らしく生きること”を重視します。
アドラーが強調した「共同体感覚(他者と共に生きる感覚)」は、まさにこの考え方の基盤です。
「優れていたい」気持ちを健全に使う3つのヒント
- 比較の軸を“他人”から“自分”へ変える
他人と比べると常に上下が生まれます。
「昨日の自分より少し前に進んだか?」を判断基準にしましょう。 - 劣等感を否定せず、“出発点”として受け入れる
劣等感は悪ではありません。
それがあるからこそ、成長への意欲が生まれます。 - 「誰かの役に立ちたい」という目的をもつ
「優れたい」ではなく、「貢献したい」と考えることで、
向上心がより健全で持続的なものになります。
まとめ:「優れていたい」は力にも、罠にもなる
「優れていたい」という気持ちは、あなたを動かす強いエネルギーです。
けれど、その方向が「他人より上に立ちたい」という競争心に偏ると、
本来の成長が“苦しみ”に変わってしまいます。
アドラー心理学が教えるのは、
“優れている自分”よりも“成長し続ける自分”を大切にすること。
劣等感を恐れず、他者と比べず、自分の理想に向かって歩み続けること。
それが、心の健康を保ち、真に強く生きるための道なのです。
