選挙の道具か国民の救済か?減税の真意
選挙と減税、政治家の本音
政治家が「減税」を口にする時、それは選挙のためなのか、それとも純粋に国民のためなのか。この問いは、政策の是非以前に、政治への信頼そのものを左右する重要な分水嶺といえる。
立憲民主党の枝野幸男氏は、過去の選挙で消費税減税を掲げて敗北した経験から、減税を「選挙の役には立たない」と結論づけたようだ。ある講演では「減税ポピュリズムに走る者は党から出ていけ」とまで発言したというが、この姿勢には大きな違和感を禁じ得ない。
言葉に宿る「魂」の不在
減税を選挙に勝つための道具として見ている時点で、順序が逆転しているのではないだろうか。本来、減税とは国民生活を豊かにし、経済を循環させるための手段であり、選挙の勝敗はその結果としてついてくるものに過ぎない。
「票が欲しいから減税する」のではなく、「皆さんの生活を守るために、これが必要なのだ」という切実な思い。それがなければ、どれほど耳障りの良い公約を並べても、その言葉は空虚に響くだけだ。国民は敏感である。魂のこもっていない言葉、腹の底から信じていない訴えを、人々は本能的に見抜く。選挙で結果が出なかったのは、減税という政策そのものが悪いのではなく、そこに宿る政治家の「本気度」が伝わらなかったからではないだろうか。
「子ども手当」の挫折と財源の正体
過去を振り返れば、民主党政権の失敗もまた、財源に対する迷いと知識不足から生じている。政権交代の象徴でもあった「子ども手当」は、当初月額2万6千円の支給を約束していた。しかし、「埋蔵金」という幻想に頼り、結果として「財源がない」という壁にぶつかった彼らは、半額での実施、そして最後には自民党時代の制度への回帰という結末を選んでしまった。
だが、本当に打つ手はなかったのだろうか。国債を発行し、それを財源として堂々と政策を実行していれば、約束を守ることは十分に可能だったのである。
政治決断が左右した日本の未来
通貨発行権を持つ国家において、財源不足を理由に国民への投資を諦める必要は本来ない。もし当時、民主党が財務省主導の緊縮財政に舵を切らず、国債を活用して家計を支え続けていれば、その後の日本経済はずっと良い状態を保てていた可能性がある。
政治に求められるのは、財源の帳尻合わせではない。たとえ批判されようとも、国民の幸福のために既存の常識を打ち破り、必要な政策を断行する。その強い意志と覚悟こそが、今の日本に最も欠けているものではないだろうか。
