死を意識して、今を正しく生きる──菜根譚に学ぶ「欲から自由になる生き方」
病気と死を思うことで、人は「生」を取り戻す
中国・明代の思想書『菜根譚(さいこんたん)』は、
人の生き方や心の整え方を静かに教えてくれる古典です。
その中の一節に、次のような教えがあります。
「色欲というのは激しく燃え上がる炎のようなものだが、
自分が病気にかかったときのことを考えると、たちまち冷めてしまう。
また、名誉や利益というのは甘い味わいのものだが、
ふと自分が死んだときのことを考えると、たちまち味気ないものに思えてくる。
常に死を意識し、病気になったときのことを考えながら暮らしていけば、
欲に惑わされることなく、正しい生き方ができる。」
この一節が伝えるのは、
**「死を思うことは、今を深く生きることにつながる」**ということです。
欲望は「生」を濁らせるもの
現代社会は、欲望を刺激するものであふれています。
SNSを開けば、他人の成功や華やかな生活が目に入り、
広告は「もっと手に入れよう」「もっと輝こう」と私たちを煽ります。
しかし洪自誠は、そんな人の心に警鐘を鳴らします。
「欲が強くなるほど、心はにごり、理性を失う。」
彼が挙げた“色欲・物欲・名誉欲”は、どれも人間らしい感情です。
けれども、それに支配されると、人は自分を見失い、
やがて虚しさの中に沈んでしまうのです。
「病」と「死」は、心を正す鏡
人は健康なとき、自分の体も時間も「永遠に続く」と錯覚しがちです。
しかし、病を経験すると初めて、
「当たり前だと思っていたものの尊さ」に気づきます。
洪自誠は、この“気づき”を日常の中に持ち込むことを勧めています。
病気や死を思うことは、決して暗い考えではありません。
それはむしろ、**「生を深く味わうための知恵」**です。
死を意識すれば、
・怒ることの無意味さ
・過剰な欲の愚かさ
・人に優しくすることの大切さ
が、自然と心に浮かんできます。
つまり、「終わりを思う」ことは、
“今を丁寧に生きるための道しるべ”なのです。
「死を意識する」ことは、恐れることではない
私たちは「死を考えることは不吉」と感じる傾向があります。
しかし、『菜根譚』の教えはその逆です。
死を遠ざけるほど、命の輝きは鈍くなる。
死を見つめるほど、今この瞬間が尊くなる。
仏教でも「無常(すべては変わりゆく)」という思想がありますが、
洪自誠の言葉もまた、同じ真理を語っています。
死は終わりではなく、
**“生を正すための鏡”**なのです。
欲に惑わされないための3つの実践法
では、現代人がこの「無欲で生きる姿勢」をどう実践できるでしょうか。
『菜根譚』の精神をもとに、3つの習慣にまとめてみました。
1. 一日の終わりに「もし今日が最後なら」と考える
夜寝る前に、
「もし今日が人生最後の日だったら、何を大切にしたいか」を考えてみる。
すると、やるべきこと・言うべき言葉・守るべき人が自然と見えてきます。
2. 「足りていること」を数える
欲を減らす一番の方法は、「今ある幸せ」に目を向けること。
健康、家族、食事、住まい……。
当たり前の中にこそ、最も深い感謝があります。
3. 病を想定して生きる
健康なうちにこそ、「病気になったときの自分」を思い浮かべてみましょう。
そのとき本当に必要なものは、地位でも財産でもなく、
「支えてくれる人」「心の穏やかさ」だと気づきます。
「死を思う人」は、優しくなる
死を思う人は、他人に優しくなります。
人の弱さや苦しみに共感できるようになるからです。
また、死を意識することで「時間の有限さ」を感じ、
無駄な争いや比較から自然と距離を置けるようになります。
『菜根譚』が伝える「死の意識」とは、
人を怖がらせるためのものではなく、
**“人を穏やかにするための智慧”**なのです。
まとめ──「死を知る」ことは、「生を知る」こと
『菜根譚』の「病気と死について思いをめぐらせる」は、
人生の“静かな哲学”を教えてくれる一節です。
死を恐れず、病を嘆かず、
それらを「生を正すための教師」として受け入れる。
そうすれば、欲に惑わされず、誠実に生きる力が育ちます。
死を遠ざけるのではなく、
死を心の隅に置いておく。
そうすることで、
日常の一瞬一瞬が、より鮮やかに輝きはじめます。
洪自誠が伝えたかったのは、
“死を思うことは、より良く生きるための智慧”なのです。
