私たちは日々の生活のなかで、感情や欲望に振り回されがちです。「これが欲しい」「あれは避けたい」と考え、その通りにならなければ強い不満や怒りを覚えることもあるでしょう。しかし、古代ギリシャの哲学者エピクテトスは『語録』の中で、真に知徳を備えた人間になるためには、心と行動を鍛える三つの領域があると説きました。
その三領域とは――
- 欲求と忌避に関わる領域
- 行動の衝動に関わる領域
- 判断に関わる領域
では、それぞれを具体的に見ていきましょう。
① 欲求と忌避 ― 感情の源を整える
第一に鍛えるべきは「欲求と忌避」の領域です。私たちの強い感情の多くは、「欲しいものが得られなかった」とき、あるいは「避けたいものに直面した」ときに生まれます。
たとえば、昇進を望んでいて叶わなかったときに落胆する。嫌な上司との会話を避けたいと思っても、避けられずに苛立つ。これらはすべて「欲求と忌避」に根ざしています。
ここで大事なのは、「正しいものを望み、正しく避ける」ことです。つまり、金銭や名声のように外部に依存するものではなく、誠実さや勇気、忍耐といった内面的な徳を望むこと。そして、怠惰や不正といった行いを避けること。
この方向転換ができれば、心は安定しやすくなります。
② 行動の衝動 ― 動機を吟味する
第二に鍛えるべきは「行動を促す衝動」です。
私たちは一日に数えきれないほどの行動をとっています。しかし、それが「正しい理由」に基づいているかは常に確認する必要があります。
- 執着心から行動していないか?
- 他人に認められたい一心で動いていないか?
- 「やらなければならない」という思い込みに縛られていないか?
行動の背後にある動機を点検することで、軽率さを防ぎ、より慎重で意味のある選択ができるようになります。ここで大事なのは「一時の衝動」ではなく「理性」を基盤とした行動を選ぶことです。
③ 判断 ― 理性を働かせる
第三に鍛えるべきは「判断の領域」です。
判断とは、目の前の出来事をどう捉えるか、どのように意味づけるかという心の働きです。同じ出来事でも、判断の仕方によって感情も行動も変わってきます。
たとえば、渋滞に巻き込まれたときに「最悪だ」と考えれば苛立ちますが、「本を読む時間ができた」と考えれば心は落ち着きます。事実は一つでも、判断は人それぞれ。だからこそ、理性的な判断を磨くことが大切です。
エピクテトスは、「自然から与えられた素晴らしい贈り物は理性だ」と言いました。私たちはこの理性を活用することで、虚偽に惑わされず、平静さを保つことができます。
三領域は相互に影響する
欲求・行動・判断。この三領域は別々に存在しているようで、実際は密接に結びついています。
- 判断が欲求を左右し、欲求が行動を生む
- 行動が新しい経験を生み、その経験が次の判断に影響する
つまり、どれか一つを鍛えるだけでは不十分で、三つを同時に意識して磨いていく必要があります。
日常でできる実践法
エピクテトスの教えを現代の生活に活かすには、以下のような小さな習慣が役立ちます。
- 毎朝の問いかけ
「今日、私は何を望み、何を避けるのか?」と考える。 - 行動前の一呼吸
「私はなぜこれをしようとしているのか?」と動機を確認する。 - 一日の振り返り
「今日の出来事をどう判断したか? ほかに見方はなかったか?」と振り返る。
このサイクルを続けることで、三領域が少しずつ鍛えられていきます。
まとめ
エピクテトスが説いた「鍛えるべき三領域」は、今を生きる私たちにとっても有効な指針です。
- 欲求と忌避を見直し、心を安定させる
- 行動の衝動を吟味し、理性的な動機を持つ
- 判断を磨き、出来事を正しく捉える
この三つを日々意識して鍛えることで、人生の大事なことがはっきりと見えるようになり、より自由で幸せな生き方に近づけるでしょう。
👉 今夜寝る前に、「今日、自分はどんな欲求に振り回されたか? どんな判断をしたか?」と問いかけてみてください。それが、三領域を鍛える第一歩になります。