上達と人間性は別物
マルクス・アウレリウスは『自省録』でこう述べています。
「格闘技で敵を打ち倒すのがうまい者がいる。だからといってその者が、公共精神にあふれ、慎み深く、どんな事態にも心構えができ、他人の落ち度に寛大であるわけではない。」
つまり、何かに上達することと、人間として優れていることはまったく別だということです。
スキルの裏に潜む「虚栄心」
私たちはしばしば「スキルの習得」や「成果」に価値を置きます。
- 割れた腹筋を手に入れたのは健康のためか?それとも見せびらかすためか?
- マラソンに挑戦しているのは自分の限界を試すためか?それとも現実逃避のためか?
- 語学を学んでいるのは異文化交流のためか?それとも自己満足のためか?
努力自体は立派なことですが、その動機を誤ると、本質から遠ざかってしまいます。
優れた人間になるとは?
私たちが本当に目指すべきは「何かに優れる人」ではなく「優れた人間」です。
- スポーツで勝てるけれど、家庭を顧みない人
- 仕事で成果を上げるけれど、部下を思いやれない人
- 語学や知識に秀でているけれど、人と対話する時間を持たない人
こうした姿は「スキルはあるが人間性に欠ける例」といえるでしょう。
一方で「優れた人間」とは、次のような姿です。
- 正義感を持ち、他人を公正に扱う
- 自制心を持ち、欲望や怒りをコントロールできる
- 勇気を持って困難に立ち向かう
- 自由な精神で、自分の理性に従って生きる
これはストア哲学が繰り返し強調している「善き人生の原則」です。
現代での応用
- 職場で:昇進やスキルアップだけでなく、チームに信頼される人間になることを目指す
- 家庭で:収入や成果よりも、家族に安心感や愛情を与える存在であることを大切にする
- 日常で:趣味や自己研鑽を楽しみつつ、人との関わりや思いやりを忘れない
まとめ ― 成長の方向性を見直す
上達すること自体は素晴らしい。しかし、それはゴールではありません。
- 何かに優れることと、優れた人間であることは別物
- 動機を虚栄心に支配されないように見直す
- 正義・自制・勇気・自由といった原則を実践することで、本当の成長につながる
今日からは「何に上達したいか?」だけでなく、**「どんな人間でありたいか?」**という問いを胸に行動してみましょう。それこそが、人生を豊かにする成長の道です。