『「税」の文字が示す残酷な本質と、消費税の正体』
剥ぎ取られる穀物
そもそも、私たちが日々納めている「税」とは、一体何なのだろうか。その本質を知る手がかりは、漢字そのものに刻まれている。 「税」という文字を分解してみてほしい。それは「禾(のぎ)」と「兌(だ)」の組み合わせでできている。「禾」は穀物の実り、つまり収穫物を指す。そして「兌」には、「悦び」という意味のほかに、「脱ぐ」、すなわち「剥ぎ取る」という意味が含まれている。 つまり、税という言葉の語源的な意味は、「実った穀物を剥ぎ取る」ことに他ならない。私たちが汗水流して得た所得という名の果実を、強制的に剥ぎ取っていくシステム。それが税の原始的な姿であるといえる。
対価なき債務の発生
では、現代社会において、国はどうやって私たちの実りを剥ぎ取っているのか。法的な解釈を用いれば、その仕組みは極めてシンプルだ。 まず、法律によって「誰が払うか」という課税対象者を決める。次に、「何をしたら払うか」という課税物件を定める。これらが合致した瞬間、そこには自動的に「租税債務」が発生する。 ここでの重要なポイントは、税金とは「対価」なしで課せられる債務である、という点だ。 通常、借金などの債務は、金銭を借りたりサービスを受けたりした対価として発生する。しかし、税金は違う。国から何か特別なサービスを受けたから払うわけではない。ただ法律の規定に該当したという事実のみをもって、一方的に負わされる債務なのだ。私たちは、その債務を弁済するために、現金を「納める」ことで、ようやくその呪縛から解放される。これが、税金の法的な正体である。
「預かり金」という幻想
この「誰が」「何に対して」債務を負うのか、という視点を持つと、世の中で信じられている常識の嘘が見えてくる。 例えば、温泉に入る際にかかる「入湯税」。これは、客が温泉に入る行為そのものが課税対象となる。したがって、税を負担するのは客であり、旅館側はそれを一時的に預かって納税しているに過ぎない。これは正真正銘の「預かり金」である。
しかし、「消費税」はどうだろうか。 多くの人が、消費税もまた店が客から預かっている税金だと思い込んでいる。だが、消費税法における課税対象者は、消費者ではなく「事業者」だ。そして課税物件は、消費ではなく「資産の譲渡等」、つまり「売上」である。 事業者が商品を売り上げ、その対価を得た瞬間に、事業者自身に消費税という債務が発生する。消費者は関係ない。法律上、消費者が税務署に対して納税義務を負うことは一切ないのだ。
消費者が負うのは「対価」のみ
スーパーやコンビニで買い物をするとき、私たちはレシートに書かれた「消費税相当額」を目にする。しかし、あれは厳密には税金ではない。商品価格の一部としての「対価」である。 消費者と店の間にあるのは売買契約だ。消費者は商品という価値を受け取り、その等価交換として代金を支払う。そこで取引は完結している。消費者は単にお金を払っただけであり、税という債務を負ったわけでもなければ、店に納税を委託したわけでもない。
「消費税は預かり金である」「税金は公共サービスの対価である」。 これらは、税の本質を覆い隠すためのレトリックに過ぎない。税とは、対価なしに一方的に創出される債務であり、消費税とは、事業者の売上に対して課される直税的なコストなのだ。 この仕組みを正しく理解すれば、巷に溢れる「益税」議論や「財源論」がいかに的を外れたものであるか、自ずと理解できるはずである。
