私たちは日々、さまざまな出来事に直面します。人間関係の衝突、仕事の失敗、健康や生活の不安……。避けられない出来事も多いですが、大切なのは「それをどう捉えるか」です。
古代ストア派の哲学者エピクテトスは『提要』の中でこう述べています。
「どんな事柄にも二つの取っ手がついていて、一方では運べるが、他方では運べない」
たとえば、きょうだいから不当な仕打ちを受けたとき、「ひどいことをされた」と思えば重荷になります。しかし「一緒に育った大切な家族」と捉えれば、前に進む力が得られます。
つまり、同じ出来事でも「どちらの取っ手をつかむか」で人生の重さは大きく変わるのです。
シーブルックの「もう一方の取っ手」
この考え方を実践した例のひとつが、ジャーナリストのウィリアム・シーブルックです。
彼はアルコール依存症に苦しみ、1933年に自ら精神病院に入院しました。しかし当初は反抗的な態度を取り、周囲と衝突を繰り返し、回復への道は遠いものでした。
ところがある日、エピクテトスの言葉を思い出します。
「どんなものにも二つの取っ手がある」
以後、シーブルックは「もう一方の取っ手」を選ぶようにしました。つまり、状況を「罰」としてではなく、「立ち直るための機会」として捉えるようにしたのです。
すると彼は少しずつ施設での生活を楽しめるようになり、本気で断酒に取り組みました。彼の回顧録には、その瞬間をこう記しています。
「しらふでいるのがなんと素敵で、不思議で、美しいのかが急に分かった」
まさに、捉え方を変えるだけで世界の見え方が一変したのです。
「取っ手」の選び方は私たち次第
もちろん、誰もがシーブルックのように劇的な変化を経験できるとは限りません。ですが、少なくとも「悪い取っ手」を握り続ければ、人生は確実に重苦しいものになります。
- 運べない取っ手:不満、怒り、被害者意識、諦め
- 運べる取っ手:学び、挑戦、感謝、前向きな意味づけ
どちらを選ぶかは、私たち自身に委ねられています。
職場での応用例
- 上司に叱られたとき
「不当に怒られた」と思うか、「自分を成長させる機会」と捉えるか。 - プロジェクトが失敗したとき
「努力が無駄になった」と考えるか、「次の成功のための経験」と考えるか。 - 同僚に先を越されたとき
「嫉妬心」で取っ手を握るか、「学びの対象」として取っ手を握るか。
日常生活での実践例
- 雨の日 → 「予定が台無し」ではなく、「静かに読書できる日」
- 渋滞に巻き込まれた → 「イライラする時間」ではなく、「音声学習や思索の時間」
- 体調不良 → 「不運」ではなく、「自分の体を労わる機会」
どんな状況にも「別の取っ手」は必ず存在します。
捉え方を変えるための習慣
- 一度立ち止まる
感情的に反応する前に「別の見方はできないか」と考える。 - 問いかける
「この出来事の中に学びや利点はあるか?」と自分に質問する。 - 小さな成功体験を積む
日常のささいな場面で「良い取っ手」を選び、前向きな結果を体感する。
まとめ
エピクテトスの教えとシーブルックの体験が示すのは、「人生には必ず二つの取っ手がある」ということです。
- 運べない取っ手をつかめば、怒りや不満に苦しむ
- 運べる取っ手をつかめば、学びや成長へと進める
- どちらを選ぶかは、私たち自身の自由
👉 今日から「もう一方の取っ手を試す」習慣を意識してみましょう。それだけで、日常の出来事が少し軽く、そして意味深いものに変わるはずです。