形ではなく本質を見る──『菜根譚』に学ぶ“目に見えない理解力”
本質を見抜く力とは何か
『菜根譚』の後集第八には、次のような深い一節があります。
人は、文字を使って書かれた書物を読み理解することはできるが、
文字で書かれていない書物──森羅万象の真理を読み取り理解することはできない。
この言葉が示すのは、「知識」と「智慧(ちえ)」の違いです。
私たちは本やインターネットで多くの情報を得ることができますが、
それだけでは世界の本質を理解したことにはなりません。
文字や形式を通して学ぶ知識はあくまで表面。
本当の理解とは、そこに込められた「精神」や「背景の意図」にまで目を向けることなのです。
弦のない琴──自然から学ぶ「無言の教え」
この章句には、もう一つ印象的なたとえが登場します。
弦の張られた琴を弾くことはできても、弦のない琴、すなわち自然界の音楽を理解することはできない。
弦のある琴は、人が作った「形ある音楽」。
しかし自然の音、たとえば風の音や雨の響きには、形式がありません。
それでもそこには「調和」「リズム」「生命の流れ」という“音なき音楽”が存在しています。
この比喩は、形を超えて感じ取る感性の重要性を説いています。
人は往々にして「目に見える成果」や「数値化された評価」に頼りすぎます。
しかし、本当の価値は数字や形では測れません。
静かな自然に身を置き、感じることそのものが「学び」になる──
それが『菜根譚』のいう“弦のない琴を聴く心”です。
現代社会は「形」に偏りすぎていないか
私たちの社会は、目に見える結果を重視する傾向があります。
資格、実績、フォロワー数、収入、肩書き──
これらは確かに努力の証ですが、同時に「形」にすぎません。
形ばかりを追い求めると、肝心の“中身”を見失います。
たとえば、仕事でも「効率」や「成果」を優先しすぎると、
本来の目的である「人の役に立つこと」「価値を生むこと」が置き去りになります。
『菜根譚』は、そんな現代人の姿を400年以上前に見抜いていたようです。
本質を見るとは、「形を超えて、目的や意図を読み取ること」。
それができる人こそ、信頼されるリーダーであり、学び続ける人です。
形から精神へ──真の理解とは「感じ取る力」
『菜根譚』は、次のようにも言っています。
人はとかく、目に見えるものや、耳で聞くことができる音には理解を示すが、
目に見えないものや心でしか聞けない音には理解を示さない。
これは、「感性を閉ざしてはいけない」というメッセージです。
私たちは合理的な説明やデータを重視するあまり、
“心で感じる理解”を軽視しがちです。
しかし、信頼関係や創造性、感動といったものは、
数字では測れず、言葉にもできません。
それでも確かに存在し、人生を豊かにしてくれる要素です。
つまり、「感じる力」こそが本質を理解するための鍵なのです。
本質を理解するための3つのヒント
『菜根譚』のこの教えを現代的に活かすには、次の3つの実践が効果的です。
- 情報をうのみにせず、自分の体験で確かめる
→ 書物やネットで得た知識はあくまで参考。実際に行動して確かめることで、理解は深まる。 - 見える結果より、見えないプロセスを大切にする
→ 成果だけでなく、そこに至る努力や思考にこそ本質がある。 - 心を静めて、感じる時間を持つ
→ 自然や人の声、沈黙の中にある“無言の教え”に耳を傾ける。
この3つを意識するだけで、物事を見る目が格段に変わります。
まとめ:本質は、目に見えないところに宿る
『菜根譚』の「本質を理解する」という章は、
知識社会に生きる私たちへの深い警鐘です。
本を読むことも、学ぶことも大切。
しかし、最も大事なのは「そこから何を感じ、どう生かすか」です。
形あるものを越えて、目に見えない価値に気づく人こそ、
本質を理解した“智慧ある人”といえるでしょう。
今日、あなたが見る景色や人との会話の中にも、
きっと「弦のない琴」が静かに響いているはずです。
心の耳で、その音を聴いてみませんか。
