経常収支の正体:国の「稼ぎ」とGDPを結ぶシンプルな経済論
国境を越えるお金の不思議
前回までお話ししてきた「金融収支」の世界は、いささか難解に感じられたかもしれない。日本企業がアメリカで巨額のお金を稼いだとしても、そのお金が物理的に日本という国へ移動してくるわけではない、という話には、なかなか直感的に納得できない部分があったのではないだろうか。
その違和感の原因は、私たちが普段行っている国内での買い物にある。日々の生活において、製品やサービスとお金が交換されるとき、現金紙幣や硬貨は確かに買い手の手から売り手の手へと物理的に移動していく。私たちは無意識のうちに、この「物理的な移動」こそがお金のやり取りであると認識してしまっているのである。
しかし、国際交易の世界をその感覚で捉えてはいけない。理由は極めて単純だ。日本の円は外国の街角では使えないし、逆に外国の通貨をそのまま日本のコンビニで使うこともできないからである。国境を越える取引には、必ず通貨の交換や金融機関を通じたデータ上の処理が介在する。この見えない壁が、国際金融の話をややこしくしている正体といえるだろう。
経常収支というシンプルな物差し
さて、今回のテーマである「経常収支」に話を移そう。複雑怪奇に見えた金融収支とは異なり、経常収支は私たちの感覚で非常に理解しやすい指標である。
仕組みは至ってシンプルだ。例えば、日本企業がアメリカに100万円分の自動車や製品を売ったとする。この場合、日本は経常収支の一項目である「貿易収支」において、100万円の黒字となる。逆に、アメリカ側が日本に何も売っていなければ、アメリカの貿易収支は赤字となる。
モノだけでなく、サービスの場合も同様である。アメリカ企業が日本に対して、コンサルティングやソフトウェアなどのサービスを1万ドル分提供したとしよう。対して日本側がアメリカに何のサービスも提供していなければ、アメリカは経常収支の一項目である「サービス収支」において1万ドルの黒字となる。売った側が黒字、買った側が赤字。まさに家計簿やお小遣い帳と同じ感覚で捉えて問題ない。
日本経済の収支構造
この経常収支は、大きく分けて4つの柱で構成されている。「貿易収支」「サービス収支」に加え、「第一次所得収支」、そして「第二次所得収支」である。
日本の現状を見てみると、興味深い特徴がある。海外への旅行や特許料の支払いなどが含まれる「サービス収支」や、国際機関への拠出金や途上国への援助などが含まれる「第二次所得収支」については、恒常的に赤字となる傾向がある。しかし、自動車などの輸出による「貿易収支」や、海外投資からの利子や配当などで稼ぐ「第一次所得収支」がそれ以上の黒字を叩き出している。
結果として、マイナス分をプラス分が補い、日本全体の経常収支は長期にわたり黒字が維持されているのである。これが、日本が「経常黒字国」と呼ばれるゆえんである。
輸出が豊かさを生むメカニズム
ここで視点を少し変えて、「輸出」という行為が経済に与える影響を考えてみたい。日本企業がアメリカに製品を売るということは、単にモノが移動しただけではない。それは「日本国内で生産が行われた」という事実を意味する。
以前触れた「GDP三面等価の原則」を思い出していただきたい。一国の経済において、「生産」された価値は、誰かの「所得」となり、最終的に何かに「支出」される。つまり、国内での生産額は、そのまま国内の所得総額と等しくなるのである。
日本がアメリカに100万円の製品を輸出した場合、日本のGDP(国内総生産)は100万円増加する。それと同時に、国際収支統計上の貿易黒字も100万円増えることになる。サービスの場合も同様だ。日本が外国にサービスを提供すれば、サービス収支の黒字が増え、それは日本のGDPを押し上げる要因となる。
純輸出と所得収支の境界線
経済統計の世界では、この「貿易収支」と「サービス収支」を合算して「貿易・サービス収支」と呼ぶことがある。これはGDP統計における「純輸出」とイコールになる重要な数字だ。
貿易・サービス収支が黒字であるということは、モノやサービスの取引において、日本側が稼いだ所得の方が、外国側が日本で稼いだ所得よりも多かったことを意味する。つまり、それだけ日本のGDPプラスに貢献したということである。
では、残りの「第一次所得収支」や「第二次所得収支」はどうなのだろうか。これらも確かに、日本国民の所得や財布の中身には深く関係する指標である。海外投資で儲けた配当金は、紛れもなく日本の富の一部だ。しかし、これらは国内での「生産」を直接伴うものではないため、GDPの構成要素である「純輸出」には含まれないという区別がある。
同じ「黒字」であっても、それが国内の工場を動かして生まれたものなのか、それとも投資のリターンとして得られたものなのか。その中身を見極めることが、経済の体温を正しく測る第一歩といえるのである。
