欠点は直すより「うまく使え」──新渡戸稲造『修養』に学ぶ、短所を力に変える生き方
欠点は「悪」ではない
「おしゃべりはよくないこと」と聞くと、多くの人は同意するでしょう。
たしかに、無駄話や悪口が過ぎれば、人間関係に悪影響を及ぼします。
しかし、新渡戸稲造は『修養』の中で、こう述べています。
「おしゃべりそのものが悪いわけではない。」
つまり、欠点と思われがちなことも、“使い方次第”で良い方向に働くというのです。
欠点はただ排除すべきものではなく、方向を誤らなければ、むしろ人間の魅力や力に変わる。
それがこの章の核心です。
「おしゃべり」は使い方次第で長所になる
新渡戸は例として「おしゃべり」を挙げています。
「おしゃべりが悪いとすれば、それはいたずらに悪口を言って人の感情を害したり、品位に欠ける言葉を吐いて世の中に害毒を流す場合だ。」
つまり、“おしゃべり=悪”ではない。
悪くなるのは、それをどう使うかを誤ったときだけなのです。
同じ「話す力」でも、
- 悪口を言えば人を傷つける
- 優しい言葉をかければ人を救う
- 面白い話をすれば人を笑顔にする
おしゃべりは使い方ひとつで「毒」にも「薬」にもなる。
これはすべての欠点にも当てはまります。
欠点の“方向”を変える
欠点とは、裏を返せばエネルギーの向きの問題です。
たとえば:
- 頑固な人 → 信念を持って物事をやり抜ける人
- 心配性な人 → 慎重で準備を怠らない人
- おしゃべりな人 → 社交的で人を和ませる人
- せっかちな人 → 行動が早く、決断力のある人
欠点を消す努力をするよりも、「どうすれば良い方向に使えるか」を考える方が、ずっと建設的です。
新渡戸が説く「修養」とは、まさにこの“欠点を正しい方向に導く心の訓練”なのです。
自分の欠点を受け入れることが、成長の第一歩
私たちは往々にして、「欠点を直そう」「悪いところをなくそう」と考えがちです。
けれど、それでは自分を責めるばかりで、心が萎えてしまいます。
新渡戸の教えは逆です。
欠点を否定するのではなく、「自分の中にあるものをどう扱うか」を考える。
つまり、欠点を受け入れ、方向づける知恵を持つこと。
それが、人間としての成熟につながります。
「欠点を活かす」ための実践ステップ
ここで、『修養』の教えをもとに、欠点を長所として活かすための3つのステップを紹介します。
① 自分の欠点を正直に見つめる
まずは「自分のどんな部分が問題を生みやすいか」を客観的に把握します。
例:「つい話しすぎる」「完璧主義で時間がかかる」「感情的になりやすい」など。
② その欠点の“裏側”を探す
欠点には必ず裏の顔があります。
「おしゃべり」なら「表現力」、「心配性」なら「慎重さ」。
自分の欠点がどんな良さとつながっているかを探しましょう。
③ 欠点の使い方を意識して行動する
欠点を消そうとせず、「良い方向で活かす」意識を持つ。
おしゃべりなら、「人を励ます言葉を増やす」「悪口は言わない」といった形で、意識をコントロールすることが大切です。
欠点は「使いこなす」もの
新渡戸稲造の思想は、人間を完全な存在と見なしていません。
むしろ、「欠点を抱えたまま、それをどう生かすか」に人間らしさを見出しています。
たとえば、歴史上の偉人たちも、皆欠点を持っていました。
しかし彼らは、その欠点を自分の個性や強みとして昇華させたのです。
欠点は、正しく使えば“個性”となり、磨かれれば“長所”となる。
そして、それを制御する力こそが「修養」なのです。
まとめ:欠点を嫌うな、育てよ
『修養』のこの章が教えてくれるのは、次の3つの真理です。
- 欠点そのものが悪いのではない
- 方向を誤れば害となり、正しく使えば徳となる
- 欠点を受け入れて、上手に使うことが人間の修養である
つまり、欠点とは「成長の素材」。
消すのではなく、磨いて使いこなすことが大切なのです。
最後に
新渡戸稲造は、人間の本質を“完全を求める存在ではなく、成長し続ける存在”として見ていました。
欠点を恥じる必要はありません。
大切なのは、それをどのように活かすか。
おしゃべりも、怒りっぽさも、心配性も——
すべては使い方次第で、あなたの魅力と力になります。
欠点を「敵」とせず、「味方」に変える。
それこそが『修養』の真髄であり、人間が豊かに生きるための知恵なのです。
