表と裏をうまく使い分けよ──新渡戸稲造『自警録』に学ぶ、本音と建前の知恵
「表」は善、「裏」は悪――その考えは誤り
新渡戸稲造は、『自警録』の中でこう述べています。
「表裏という言葉を聞くと、とかく表は良く、裏は悪いように思われているが、このような考え方は間違っている。」
「裏がある人」「裏の顔」など、現代でも“裏”という言葉はネガティブに使われがちです。
しかし、新渡戸はそれを明確に否定しています。
彼にとって、“裏”とは「隠し事」ではなく、「奥行き」「控えめな思慮」のこと。
人間も社会も、表と裏の両面があってこそ成り立つ。
裏を持たない人間は、むしろ浅く、無礼になりかねないのです。
人生は「表」と「裏」の両方で成り立つ
「人生というのは表と裏の両方があってはじめて成り立つものであり、逆に、表裏をわきまえずに行動すれば、人に迷惑をかけることになる。」
新渡戸の言葉を現代風に言えば、これは“本音と建前”の重要性についての教えです。
どんなに正直な人でも、場面や相手によって言葉を選ぶ必要があります。
それは「嘘」ではなく、「礼儀」です。
たとえば:
- 仕事の場で、相手の立場を考えて言葉を選ぶ
- 家族や友人に対して、思いやりのある伝え方をする
- 批判ではなく、相手を立てる形で意見を言う
これらはすべて、表と裏の使い分けによる思いやりなのです。
「裏」を持つことは、誠実さの証でもある
裏を持つということは、二面性を持つことではありません。
むしろ、「感情を直接ぶつけず、相手を思って控える」ことです。
たとえば、怒りや悲しみを感じても、それをすぐ表に出さずに落ち着いて対応する。
それは“裏がある”というよりも、“心の深さがある”ということ。
新渡戸は、そうした成熟した自制心を「表裏の使い分け」として高く評価しているのです。
表裏を使い分けることは「礼儀」である
「人生においては、このように表裏を適切に使い分けることが礼儀にかなったことなのだ。」
新渡戸のいう「礼儀」とは、単なる形式や挨拶作法のことではありません。
それは、「他人の気持ちを思いやる心の表現」です。
本音だけをむき出しにする人は、誠実に見えても、ときに無神経になります。
逆に、表と裏を上手に使い分ける人は、相手を尊重し、関係を円滑に保つことができる。
つまり、表裏のバランスこそが“成熟した礼儀”の本質なのです。
「裏のない人」は、危うい
新渡戸の言葉の裏には、「裏のない人ほど怖い」という警告も読み取れます。
裏のない人とは、言葉も感情もそのままに表に出す人。
一見、正直で信頼できそうですが、実際には他人を傷つけやすく、信頼を失うこともあります。
誠実さとは、思ったことを何でも言うことではなく、
相手にとってどう伝えるのが最善かを考えることです。
それができる人は、表の明るさと裏の静けさを併せ持つ、真の大人といえるでしょう。
表と裏のバランスを取る3つの実践法
新渡戸稲造の教えを現代的に活かすために、日常で意識したい3つのポイントを紹介します。
① 「本音」と「建前」を区別する勇気を持つ
本音を言うべき時と、建前で包むべき時を見極める。
これは偽りではなく、相手への配慮です。
② 感情の「裏側」で考える時間を取る
怒りや不満を感じたら、すぐ表に出さず、一呼吸おいて裏で考える。
これだけで、トラブルの多くは防げます。
③ 「裏の思いやり」を表に返す
裏で抱いた優しさや気づかいは、行動として表に出して伝える。
これが新渡戸の言う「礼儀」にかなった生き方です。
まとめ:表も裏も、自分を磨く二つの面
『自警録』のこの章が伝えるメッセージは、次のように要約できます。
- 表と裏は善悪ではなく、両方があってこそ人間。
- 本音と建前の使い分けは、礼儀であり思いやり。
- 表に出さない“裏の深さ”こそ、成熟した人格の証。
つまり、誠実とは「正直に話すこと」ではなく、「正直をどう表現するか」を考える力なのです。
最後に
新渡戸稲造の言葉を現代風に言い換えるなら、こうなるでしょう。
「本音は持ちなさい。ただし、むき出しにするな。
表で語れぬ本音を、裏で磨け。」
誠実さとは、感情を押し殺すことではなく、
他人のために自分の感情を制御する強さです。
表と裏のバランスを心得ること——
それが、人としての深みと優しさを育てる“修養の極意”なのです。
