古いものをただ敬うな――幸田露伴『努力論』が説く「価値ある古さ」とは何か
「古い=尊い」ではない――露伴の冷静な視点
幸田露伴の『努力論』には、こんな一節があります。
「時代の風潮はさまざまだ。あるときには古いことが尊ばれ、またあるときには新しいことが尊ばれる。」
この一文から、露伴の観察眼の鋭さがうかがえます。
時代は常に「新しいもの」と「古いもの」を行き来しています。
新しさが流行すれば、次は古いものが「味わい深い」として見直される――そんなサイクルは今も昔も変わりません。
しかし露伴は、この“古いもの礼賛”に警鐘を鳴らします。
「古いことを尊ぶべきなのは、それが古いからではなく、その古いものの中に何らかの優れた点があるからでなければならない。」
つまり、「古い=良い」ではなく、「良いから残っている」ものだけが尊いということです。
古いものの中に「価値」を見出す目を持て
露伴が言いたいのは、古いものをただ形式的に敬うのではなく、
その中に込められた「知恵」「技術」「精神」を見抜くことの大切さです。
たとえば、日本の伝統文化を考えてみましょう。
茶道、書道、建築、工芸――どれも長い年月を経て洗練されてきました。
その価値は「古いから」ではなく、人々が試行錯誤を重ね、無駄を削ぎ落としてきた結果にあります。
露伴は言います。
「古ければ価値があるというのは骨董屋の見方になってしまう。」
つまり、ただ「古い」こと自体に価値を見出すのは、本質を見失った考え方だというのです。
本物の価値とは、時間が証明した中身のある古さなのです。
「伝統」と「形骸化」は紙一重
露伴の言葉は、現代の日本社会にもそのまま当てはまります。
「伝統」や「老舗」という言葉は尊敬されますが、それがただの“看板”になっていないでしょうか。
本来の精神を失い、形だけを守っている状態――それが、露伴のいう「骨董屋的」な古さです。
たとえば、
- 昔ながらのやり方を理由もなく続けている
- 「昔はこうだった」と言って変化を拒む
- 伝統を“権威”として利用する
これらは、古いものを本質的に尊んでいるのではなく、「古さ」というラベルを利用しているにすぎません。
露伴は、そうした“形式的な古さ”を厳しく見抜いていました。
新しさと古さを「対立」ではなく「融合」として見る
露伴は、決して古いものを否定しているわけではありません。
むしろ、古いものの中にある「磨かれた知恵」を重視しています。
ただし、それは時代に合わせて活かされる古さでなければならないのです。
たとえば、伝統的な工芸に現代デザインを取り入れる。
昔ながらの教育理念を、今の社会に合わせて再構築する。
こうした“融合”の発想こそが、露伴の精神に通じます。
「古いことを尊ぶべきなのは、その古いものの中に優れた点があるからである。」
古さを守るとは、変化を拒むことではなく、価値を継承しながら進化させることなのです。
現代社会への教訓――「懐古」ではなく「継承」を選ぶ
露伴の時代も、明治維新を経て新旧の価値観が激しくぶつかる時代でした。
西洋の新しい文化が流れ込み、「古いもの=時代遅れ」とされる一方で、
伝統を失うことへの危機感もありました。
露伴はその狭間で、「どちらかを選ぶのではなく、見極めて活かす」姿勢を説いたのです。
現代の私たちもまた、テクノロジーの進化と伝統文化の継承という課題を抱えています。
露伴の言葉は、そんな時代においても“価値判断の軸”を与えてくれます。
まとめ:古いから偉いのではない、「価値があるから残る」
幸田露伴の「価値のある古さこそが重要だ」という言葉は、
単なる“古き良きもの”の称賛ではありません。
それは、**「時間が育てた価値」と「人が磨き続けた中身」**を見抜く力を持てという教えです。
- 古さに惑わされず、そこにある本質を探る
- 新しさに浮かれず、伝統の知恵を活かす
- そして、自分の目で“良いもの”を判断する
露伴が語るこの「価値ある古さ」の思想は、流行に流されがちな現代人にこそ必要な指針です。
