他人を貶めて優越感を得ようとする心理——デール・カーネギーに学ぶ「虚栄心」との付き合い方
「未来の国王」をいじめた少年たち
デール・カーネギーの『道は開ける』には、人間の心理の本質を突く驚くべきエピソードが紹介されています。
主人公は、後にイギリス国王となるエドワード8世(当時ウェールズ公)。
彼が十代半ばのころ、イギリス海軍兵学校に入学し、二年間の厳しい訓練を受けていたときのことです。
ある日、彼が人目を避けて泣いているところを、ある将校が見つけました。
事情を尋ねると、最初は口を閉ざしていましたが、やがて同級生からいじめを受けていたことを打ち明けます。
いじめの理由は「屈折した虚栄心」だった
事態を重く見た校長は、いじめをしていた少年たちを呼び出し、問いただしました。
「ウェールズ公は何も抗議していない。なぜ彼をいじめたのか?」
少年たちは最初ごまかしていましたが、厳しく追及され、ようやくこう答えました。
「いつか自分が海軍の司令官や艦長になったとき、未来の国王をいじめたことを自慢できると思った。」
なんとも皮肉な理由です。
つまり、彼らはいじめを通して**“自分の存在を誇示したかった”**のです。
人は時に、自分より地位の高い人・成功した人を見ると、
尊敬よりも「自分も上に立ちたい」「相手を引きずり下ろしたい」という心理を働かせます。
それは、屈折した優越感=虚栄心の裏返しなのです。
人間の「虚栄心」はなぜ生まれるのか?
人間は本能的に「自分は価値ある存在だ」と感じたい生き物です。
心理学ではこれを承認欲求と呼びます。
しかし、その欲求が満たされないと、
他人を否定したり、批判したり、見下したりすることで自分の価値を錯覚的に高めようとするのです。
たとえば:
- 職場で活躍している同僚に対して「あの人は上司に気に入られてるだけ」と言う
- SNSで人気の人を見て「どうせ中身はない」と決めつける
- 成功している友人に対して「運がよかっただけ」と片づける
これらはまさに、エドワード8世をいじめた少年たちと同じ心理構造。
他人を下げることでしか自分を保てない状態です。
カーネギーが伝えたかった“人間の成熟”とは
カーネギーはこの章で、人間の持つ「虚栄心」を否定していません。
むしろ、それは誰にでもある自然な感情だと認めています。
しかし重要なのは、そのエネルギーをどこに向けるかです。
虚栄心を「他人を引きずり下ろすため」に使えば、
自分の内側に苦しみや不満が積もっていきます。
けれど、「自分を高める努力」に使えば、成長と自信を生み出す原動力になります。
つまり、
虚栄心を「比較」ではなく「向上心」に変えること。
それが人間としての成熟だ。
これが、カーネギーがこのエピソードで伝えたかったメッセージです。
批判する人は、あなたをうらやんでいるだけ
もし今、あなたが誰かから批判や皮肉を受けているなら、
それはあなたが何かを持っている証拠です。
人は、自分より下だと思う相手にはわざわざ嫉妬しません。
つまり、あなたの存在がその人の虚栄心を刺激しているだけ。
そのときは、カーネギーの言葉を思い出してください。
「取るに足らない人物を攻撃する人はいない。」
批判や悪口に反応せず、ただ自分の道を歩み続けましょう。
それこそが、虚栄心に支配されず生きる最も賢い方法です。
まとめ:虚栄心は“敵”ではなく“使い方次第”の力
エドワード8世をいじめた少年たちは、将来を誇りたかっただけ。
つまり、虚栄心は誰もが持つ「認められたい」というエネルギーの表れです。
ただし、その矛先を他人に向ければ、人間関係を壊す毒になる。
自分自身の成長に向ければ、人生を豊かにする燃料になる。
カーネギーの教えは、こうまとめられます。
虚栄心を恥じる必要はない。
ただ、それを「他人を下げるため」ではなく、「自分を上げるため」に使おう。
