たった一言が善意を殺す──幸田露伴『努力論』に学ぶ、言葉の力と人の心の扱い方
心ない一言が善良な行為をさまたげる
人の優しさは、思っている以上に繊細です。
それは、たった一言の言葉によっても折れてしまうことがあります。
幸田露伴は『努力論』の中で、ある印象的なエピソードを紹介しています。
坂道の荷車と二人の学生
ある日、露伴はこうした場面を目撃します。
引っ越しの荷物を運ぶ荷車が、坂道を登るのに苦労していた。
人手が足りず、荷車はなかなか進まない。
そこへ、二人の学生が坂の下からやって来ました。
そのうちの一人は迷うことなく荷車の後ろにまわり、押して助け始めた。
しかし――
「偽善はよせよ。」
もう一人の学生が冷ややかに笑って、その友人にそう言ったのです。
その瞬間、荷車を押していた学生はハッとしたように手を引き、逃げ出してしまいました。
荷車はバランスを崩して危険な状態になったものの、通りかかった別の人が助けたため、事故にはなりませんでした。
露伴はこの出来事を通じて、人の善意がいかに壊れやすいかを痛感したと言います。
善意を折る「剋殺の言葉」
露伴は、この出来事をこう分析します。
「力を貸そうとした一人の学生の中に善良な心が生まれ、せっかく善良な行動に結びついたにもかかわらず、連れの心ない剋殺的な一言によって妨害されてしまったのだ。」
ここで登場する「剋殺(こくさつ)」とは、他人の善意や成長を押さえつけ、殺してしまう態度のこと。
つまり、「偽善はよせよ」というたった一言が、
せっかく生まれた善い心――助けようとする純粋な気持ちを“剋殺”してしまったのです。
善意とは、炎のようなもの。
点いたばかりの火は、他人の一言で簡単に吹き消されてしまいます。
「偽善」という言葉の残酷さ
このエピソードで露伴が問題視しているのは、「偽善」という言葉の使われ方です。
「偽善」とは、善いことを装っているだけで、本心ではない行為を指します。
しかし実際には、ほとんどの“善い行い”は、動機が混じっていても構わないのです。
たとえば、
- 誰かに感謝されたいから手伝う
- 見て見ぬふりができないから助ける
- 少しでも気持ちが楽になるから募金する
それらはすべて立派な“善意の形”です。
にもかかわらず、「偽善」という言葉は、人の善い心を冷笑とともに切り捨ててしまう。
露伴が憂えたのは、こうした他人の行為を笑う風潮そのものだったのです。
善意を守る「助長の心」
露伴の思想の根底には、「剋殺」ではなく「助長(じょちょう)」の心で人と接するという考えがあります。
(※前節「助長の心で人に接しよう」とも関連します。)
「悪いことをしようとする者でないかぎり、人には助長の心をもって接すべきである。」
つまり、相手の行動を否定するのではなく、良い方向に伸ばしてあげる姿勢が大切だということ。
もしこの場面で、もう一人の学生が「いいことするね」と一言励ましていたら――
荷車を押していた学生は誇らしい気持ちで、さらに力を込めて手伝っていたでしょう。
たった一言が、善意を殺すこともあれば、善意を育てることもある。
その差を生むのが、「剋殺の言葉」と「助長の言葉」なのです。
言葉には“責任”がある
露伴のこの一節は、現代の私たちにも強いメッセージを投げかけています。
SNSや職場、人間関係の中で、私たちは無意識に「心ない一言」を口にしていないでしょうか。
- 「どうせ続かないよ」
- 「目立ちたがりだね」
- 「そんなの意味あるの?」
それらは冗談や軽口のつもりでも、相手の善意や意欲をくじく“剋殺の言葉”です。
言葉には「力」があります。
だからこそ、その力を人を押しつぶすためではなく、人を支えるために使うことが大切なのです。
善意を笑わない社会に
露伴の語るエピソードは、100年以上前のものですが、
今なお私たちの社会でも同じ光景が見られます。
人の優しさや善行が、「偽善」「いい子ぶり」「自己満足」と揶揄される――。
そんな風潮の中で、善意を表に出すこと自体が恥ずかしいと思う人が増えてしまいました。
しかし、露伴の言葉は私たちにこう呼びかけます。
「心ない一言が、善良な行為をさまたげる。」
だからこそ、他人の善意を笑うのではなく、それを守り、支え、助ける。
その小さな意識が、社会全体の温かさを取り戻す第一歩なのです。
まとめ:一言で人を傷つけず、一言で人を救え
幸田露伴の「心ない一言が善良な行為をさまたげる」は、
「言葉一つが、善意を殺すことも、生かすこともできる」
という人間理解の深い教えです。
- 人の善意を笑わない
- 善い行動を見たら、助長の言葉をかける
- 自分の一言に“責任”を持つ
露伴は、「言葉の力」を知り尽くしていた文人として、
その力を“人を育てる方向”に使うことの大切さを私たちに伝えています。
一言が、心を冷やすこともあれば、心を照らすこともある。
あなたの言葉が、誰かの善意を守る灯になりますように。
