「もっと働けばもっと成功できる」「働き続けることが誇りだ」。そう信じて止まない人は少なくありません。しかし古代ローマの哲学者セネカは『生の短さについて』の中で、こうした生き方を厳しく批判しています。
「弁護士が高齢になってもなお、見知らぬ当事者のために法廷に立ち、無知な観衆の喝采を得ようと熱弁を振るいながらそのまま息を引き取ることほど、みっともないことはない」
この言葉は「仕事を一生のすべてにしてしまうこと」の危うさを突いています。
終身刑のような働き方
現代でも、年老いた大富豪や経営者が、自分の会社や事業から身を引けずにいる姿を目にします。引き際を誤ったために、株主や親族から「経営判断の能力を失っている」と訴えられ、人生最悪の恥辱を味わうケースすらあります。彼らは支配者の座を降りられなかったがゆえに、自分の恥を世間にさらすはめになるのです。
これは極端な例かもしれません。しかし、仕事に執着するあまり、老いや死といった現実から目を背ける生き方は、私たち誰にとっても無縁ではありません。
仕事は誇りであっても、すべてではない
もちろん、仕事に誇りを持つことは大切です。人は働くことで社会に貢献し、自己実現を果たすことができます。しかし、それが人生のすべてになってしまったとき、私たちは大切なものを見失ってしまいます。
- 家族や友人との時間
- 趣味や学び直しの機会
- 心身の健康
これらは仕事以上に人生を豊かにする要素です。仕事だけに没頭し続ければ、やがて棺桶で運び去られる瞬間に「何のために働いてきたのか」と虚しさを感じてしまうかもしれません。
引き際を意識する勇気
セネカの警告は、「いつまでも権力や役職にしがみつくな」ということです。キャリアの終盤には、自分の役割を後進に譲り、新しい人生のステージへ進む勇気が必要です。そうすることで、人生は「終身刑」ではなく、より自由で充実したものへと変わります。
まとめ
仕事は人生の一部であり、すべてではありません。セネカが示したように、引き際を知り、仕事から解放された時間をどう生きるかこそが、本当の人生の意味を決めるのです。あなたは今、仕事を誇りにして生きていますか?それとも、無意識のうちに「仕事=終身刑」にしてしまってはいないでしょうか。