『城壁の歴史が語る、インフレとお金の本質』
城壁が語る人類の不安
古代から中世にかけて、ユーラシア大陸の都市は常に「城壁」に囲まれていた。中国も、インドも、ヨーロッパの国々も例外ではない。侵略や略奪から身を守るため、人々は石の壁を築き、都市を守ったのだ。
一方、日本は海という天然の城壁を持ち、城下町が平和に発展してきた。これは世界でも稀な形である。
戦乱が生んだ「金銀信仰」
度重なる戦争や侵略の中で、大陸の人々が信じたのは「逃げても価値を失わないもの」──それが金や銀、宝石だった。命からがら逃げるとき、紙幣や土地は無力でも、貴金属ならどこへ行っても価値があったからだ。
こうした背景が、金銀を「真のお金」とみなす文化を生んだといえる。
紙幣の誕生とインフレーションの始まり
紙幣はもともと、銀行が金や銀を預かる際の「預かり証」だった。中国では唐の時代に飛銭が生まれ、宋では商人が交子を使い、政府が紙幣を正式に発行するようになる。これが世界初の政府紙幣である。
しかし、金属貨幣よりも簡単に刷れる紙幣は、発行が増えすぎると価値が下がる。南宋では火災復興のための紙幣増刷が原因で、物価が急上昇した。これが典型的なインフレーションの始まりだった。
フビライ・ハンの挑戦と失敗
モンゴル帝国のフビライ・ハンは、銀を担保にした紙幣「中統元宝交鈔」を導入し、貨幣を統一した。しかし、人口増加に伴う紙幣発行が裏付けを超え、やがて通貨価値は暴落する。
対策として発行した新紙幣「至元通行宝鈔」は完全な不換紙幣だったが、金銀の使用を禁じたことで人々は逆に貴金属をため込み、通貨への信頼は失われていった。
お金の本質と「信用」の力
このように歴史を振り返ると、お金の価値は本来「貴金属」ではなく、「信用」で支えられていることがわかる。
だが、戦乱と混乱の中で人々は「お金=金銀」という価値観を深め、やがて「お金の価値は貴金属の量で決まる」という誤解が広がった。
お金の本質は、債務と債権の記録にすぎない。にもかかわらず、いつの時代も「信用」が揺らげば、人々は再び金や銀にすがる。
インフレーションとは、そうした人間の不安と信頼の揺らぎが形になった現象だといえる。
