私たちは日常の中で、つい「考えなくてもいいこと」について思い悩んでしまいます。
同僚や友人が陰で何か言っているのではないか、過去に自分がミスをしていないか、落とし物をしたかもしれない…。こうした思考は不安や苛立ちを生み、心を消耗させます。
古代ローマの哲学者マルクス・アウレリウスは『自省録』でこう述べています。
ある物事について、何も意見をもたず、心を悩ませないことは可能だ。物事自体がわれわれの判断を形成するわけではないからである。
つまり、私たちの心を乱しているのは「出来事そのもの」ではなく、「それに対する自分の判断」なのです。
「知らなければ何も思わない」という気づき
少し面白い訓練があります。
- 誰かが陰で自分の悪口を言っていたとしても、それを「知らなければ」何も思わない。
- 自分が気づかずに小さなミスをしていたとしても、それを「知らなければ」心は平穏なまま。
- 落とし物をしたとしても、それを「知らなければ」気持ちは乱れない。
このように考えてみると、不安や怒りの多くは「知らなければ存在しないはずのもの」だと気づきます。
意見を持たない自由
現代社会は情報であふれています。SNS、ニュース、職場の噂話…。
つい「自分の意見を持たなければならない」と感じてしまいますが、必ずしもそうではありません。
- すべての議論に参加する必要はない
- すべての情報に反応する必要はない
- すべての問題に答えを出す必要はない
むしろ「何も意見を持たない」と決めることで、心は驚くほど軽くなります。
今日からできる実践法
- 「知らないふり」をする
聞きたくない噂や無駄な情報は「存在しないもの」として扱う。 - 関係ないことを切り離す
「これは自分の人生に本当に関係あるか?」と自問する。 - 情報断食をする
SNSやニュースを見る時間を制限し、余計な情報を入れない。 - 意見を求められても「分からない」でいい
無理に答えず、「特に意見はない」と言う勇気を持つ。
心を守るために
私たちは常に何かを「判断しなければならない」と思い込んでいます。
しかし、マルクス・アウレリウスの言葉が示すように、判断しない自由を持つことこそ、心の平穏を保つ大切な方法なのです。
不必要な情報や無駄な意見に心を消耗させるよりも、「知らんぷりを決め込む」方がずっと賢明です。
まとめ
- 出来事そのものではなく、判断が心を乱す
- 「知らなければ」心は乱れない
- すべてに意見を持つ必要はない
次に苛立つことがあったら、こう問いかけてみましょう。
「もしこれを知らなかったら、どう思うだろう?」
そうすれば、驚くほど心が軽くなり、余計な悩みから自由になれるはずです。